戦争と平和

試食に試食を重ね カステラ買って 浮かれてましたけど
今回のブログは少しばかり 重い話になります

皆さんの周りには 戦争に行った人はおりますか?
広島や 長崎で被爆した体験をお持ちの方から 
 お話を聞いた事がありますか?

私の親戚は 北海道内在住者が多くそれ以外は 青森や千葉ですし
大正2年生まれだった 今は亡き義父も 
出征はしたものの 間もなく終戦になり
「 死ぬ目にあった… 」ような事は無かったと聞いております

実家の母は 終戦の翌年に小学校へあがったので
「 配給で 長靴が当たった時は 嬉しかった 」という話は
聞いたことがありますが
釧路に住んでいて 怖い思いをしたなどという話は聞いた事がありません

北海道の小学校では 夏休み中に 登校日もありませんし
日本に原爆が投下された 8月6日と 8月9日に
札幌市内で サイレンを鳴らしているのも 聞いたことがありません

西日本や九州に住んでいる友人から
「 8月の6日と9日は 家族旅行なんてもってのほかで
    絶対 学校に登校して 校長先生のお話を 
      全員で聞いて そして 黙祷だよ 」とか

「 街中で その時間に サイレンならないものね 札幌って 」って
以前 言われたことがあって 少し驚いたことがあります
逆に その友人は 私よりずっと以前に その違いに驚いたんでしょうね

長崎を訪れるに当たって 避けて通れない 原爆投下という事実






長崎平和公園に参りました
 長崎原爆投下の中心地と その北側に 
 世界平和を願って 昭和26年に造られました
 天を指す右手は 原爆の脅威(過去)を
 水平に伸ばした左手は 平和(未来)を示し
 閉じた目は 原爆犠牲者の冥福を祈る姿だそうです
 
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この公園が出来て数年経った頃 看護師だった母が 何かの団体の
看護班として 引率した時の白黒写真を見たことがあります

思っていたより ずっと 青い像でした
日本人ではないような顔が印象的でした
 あとから聞いたところによると 長崎県出身の作者によって
 『 人種を超越した人間 』として造られたものだからなのかもしれません




園内にある ここは 長崎浦上刑務支所があった場所です
 現在は 基礎の部分のみが残っておりますが
 本来は高いコンクリートに囲まれていたはずです
 受刑者はもとより刑事被告人 そして職員や官舎居住者など
 135名もの人達が 全員即死しました
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平和の泉
 噴水の切れ目から 前述のブロンズ像が見えます
 床の円形タイルは 平和が広がっていく様を 表しているそうです
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石碑には 拙い字で このように 刻まれております



のどが乾いてたまりませんでした

水には あぶらのようなものが

  一面に浮いていました

どうしても水が欲しくて

とうとうあぶらの浮いたままのみました

          あの日のある少女の手記から
 
 


動員学徒の碑・長崎の鐘
 原爆が再び 地球上で炸裂しない為にも この鐘を鳴らし続けて
 恒久平和の確立を 人々に訴えるよう 建立されました
 この日は その説明をいつもされいるおじさんは いらっしゃいませんでした
 この方は実際にご自分も被爆されたと伺っております
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世界各国から寄贈された 平和の像も 沢山あります
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人間も 子猫も 安心して平和で暮らせる
世の中であってほしいと 願わずにはいられません
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公園を後にして 車窓から見えたのは 防空壕跡
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浦上天主堂
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1865年に大浦天主堂が完成し 浦上の潜伏キリシタンは
プチジャン神父に「 私どもも あなたと同じ信仰をもつ者です 」と打ち明け
「 潜伏信徒発見 」という歴史的な事件となりました
しかし 明治政府はキリスト教禁制を維持していましたので
キリスト教の信者であると告白した浦上の信徒3400人は流罪
この事件は外交問題に発展し 明治政府は1873年にキリシタン禁制を
解くことになります

信仰の自由を得た浦上の信者たちの 33年もの奉仕で
大正15年に 立派な赤レンガ造りのロマネスク式の教会が完成しました
しかし 昭和20年の原爆で 教会は廃墟となり 
教会に来ていた信徒約30数人が全員死亡し
12,000人の信徒のうち 8,500人が被爆死したそうです

現在の天主堂は 昭和34年に再建され
昭和55年に改築され 現在に至っています





私は 長崎原爆資料館に行くまで 
原爆投下された長崎が 原爆投下候補地の4番目だったことを
お恥ずかしい限りなのですが 全く知りませんでした
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実際 資料館は この画像のずっと左側です
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修学旅行生が一番訪れる 木曜日に行った為
物凄く混んでおりましたし ざわざわ煩かったのですが



熱線と爆風で ひしゃげて 曲がった鉄塔
11時2分で止まった 柱時計
デロデロに溶けた ガラス瓶
板塀に焼きついた 人や洗濯物の影
被爆して倒れた馬の上には 荷馬車が圧し掛かり
後の火災で炭化した 横たわる母親とその子どもの姿
 そして 長崎型原爆・ファットマンの模型…


私 そうなるだろうとは予感していたのですが
初っ端から 映像・画像の前で立ち尽くし 
泣いてしまって 動けなくなりました
号泣こそしませんでしたが ハンカチを握り締め
ただただ涙が溢れる… そんな状態です


鼻すすりながらの 駆け足見学だったことが悔やまれます
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by petite-souris | 2013-10-31 02:00 | | Trackback

2018年は着物生活復活を目指し(笑)ソロ活動から始めます。車中泊旅に取りつかれていますw


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